天文科学館とは

明石市立天文科学館は、東経135度日本標準時子午線の真上に建つ「時と宇宙の博物館」です。プラネタリウムや展示を通じて、時や宇宙について学ぶことができます。
明石海峡大橋の眺望抜群。こどもから大人まで楽しく学ぶことができる様々な企画事業を行っています。何度訪れても新しい発見のある天文科学館です。

博物館相当施設(1960年12月22日)
登録有形文化財(2010年9月10日登録)

施設概要

当館は、鉄筋コンクリート建(地上16階の高塔と4階展示棟)です。 敷地面積:4,210㎡
建物面積:965.22㎡
 
1階:エントランスロビー、受付、ミュージアム・ショップ、事務室
2階:プラネタリウム、天文ホール、情報処理室
3階:展示室、天文サロン
4階:日時計広場、キッズルーム
13・14階:展望室

16階:天体観測室

床面積
1階 651.70㎡
2階 842.83㎡
3階 656.59㎡
4階 271.71㎡
13階 89.92㎡
14階 162.86㎡

駐車場:大型バス:約8台/乗用車:約90台

プラネタリウム:ドーム直径20m、300席
高塔の高さ:地上54m

塔:309.12㎡
展示面積:480㎡

※床面積は2017年4月より改訂しました。

組織など

組織       明石市 – 政策局 – シティーセールス推進室 – 天文科学館
名称(日本語名)  明石市立天文科学館
名称(英語名)   Akashi Municipal Planetarium
開館日      1960(昭和35)年6月10日
館長       井上 毅

所属関連団体

日本博物館協会兵庫県博物館協会全国科学博物館協議会全国科学館連携協議会日本天文学会東亜天文学会日本プラネタリウム協議会(JPA)日本公開天文台協会(JAPOS)日本日時計の会熟睡プラ寝たリウム学会(事務局)


時のまち・明石

明石市立天文科学館ができるまで
明石市立天文科学館は、1960年6月10日に日本標準時子午線上に開館しました。開館以来、時のまち・明石のシンボルとして、多くの人に親しまれています。明石と天文科学館には1世紀を超える子午線の歴史があります。
1884年、国際子午線会議が開催され、英国グリニッジ天文台を通る子午線を本初子午線とすることが決まりました。1886年、国際子午線会議の決議を受けて、グリニッジからちょうど9時間の時差となる東経135度子午線が日本標準時の基準の子午線となりました。1910年、明石郡小学校長会の先生たちは日本標準時子午線が明石を通ることの重要性に気付き、子午線の通過地を示す子午線標識を建てました。この「最初の標識」の建立から、明石は時のまちとして歩みを始めました。先見の明といえるでしょう。
最初の標識は地図をもとに建てられたものでしたが、技術の発展とともに日本の地図に修正が加えられため、位置のずれが明らかになりました。1928年、明石市は天体観測に基づく東経135度子午線の正確な位置の決定を行いました。天体観測にこだわったのは、時と天体の運行との深いかかわりを大事にしたからです。「最初の標識」は、天体測量により決められた子午線上に移設されました。1930年、人丸山にトンボの標識が建てられました。1951年、戦後復興として、子午線の再観測が実施されると、子午線上に天文の科学館を建設する気運が高まってきました。1960年、明石市立天文科学館が開館。天文科学館は明石の人々の「時のまち」への熱い想いが形になった存在です。
明石市内の多くの子午線標識は、天文測量による統計135度子午線上に建立されています。GPSで表示される東経135度とは120メートルほどのずれがあります。これは間違っているのではなく、天文測量と地図測量の定義の違いによるもので、コダワリのずれです。子午線標識を訪ねて歩く楽しみがあります。

時の記念日

明石市立天文科学館の開館日である6月10日は「時の記念日」です。
671年6月10日、天智天皇は漏刻(水時計)によって日本で初めて時を知らせました。1920年、東京教育博物館(国立科学博物館の前身)で「時」展覧会が開催されました。「時」展覧会では、珍しい時計や観測装置といった科学時術の展示や、生活上の時の話題を取り上げた展示、時間に関する活動映画の上映など、一般の人々にとって興味を引きやすい展示が多くありました。展覧会を見た人からの評判は広まり、展覧会場は連日大盛況となりました。「時」展覧会が大成功になったことを受けて、会期中に、セレモニーを実施して時間尊重の宣伝を行うこととなり、故事にちなんで、6月10日を「時の記念日」として事業を行うことになりました。第一回の「時の記念日」では、東京の各所で、市民に時間を守ることを呼びかけるビラが配られたり、東京天文台の標準時計で、通行人に各自所有の時計の時刻を合わせさせたりしました。また、正午の大砲にあわせて、工場や事務所の汽笛が鳴り、寺社・教会の鐘が打ち鳴らされ、しばらくの間東京は響きの都になりました。東京教育博物館では館長の棚橋源太郎の号令とともに正午に多数の風船が空に舞い上がりました。カウントダウン・イベントの第一号といえるでしょう。「時の記念日」は、日本で初めて大衆に「秒」を意識させた大イベントになりました。その後の日本人の時間意識に与えた影響も大きいと考えられます。
明石市立天文科学館の開館記念日として、明石市民にも深く根差した記念日です。

プラネタリウム

近代的なプラネタリウムは、1923年にドイツで誕生しました。ドイツ博物館で本物そっくりの星空を展示するという意向に応える形で、カールツァイス社がドームに星を投影するという現在のプラネタリウムの形を開発しました。
明石市立天文科学館のプラネタリウムは、この流れを組む旧東ドイツ、カールツァイス・イエナ社製UPP23/3というタイプです。1960年の開館当初より稼働しています。1995年の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)で天文科学館は大破しましたが、唯一無事でした。このことから、館の再開にこぎつけることができ、プラネタリウムは震災復興の象徴ともなりました。その後も稼働を続け、2012年には稼働日数が国内最長となり、長寿日本一のプラネタリウムとして知られるようになりました。学芸員が専門知識をわかりやすく楽しく解説します。開館当初より続けている伝統的なスタイルです。一方で、音楽イベントやシゴセンジャー、熟睡プラ寝たリウムなど楽しいイベントも多く行っています。映画作品の舞台にもなっており、様々なファンがいます。懐かしくて新しいプラネタリウムです。