子午線のまち・明石
日本標準時
世界時と日本標準時
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図3は北極の真上から見た地球とします。地球自転を反映として、星も太陽も地球のまわりをまわるように見えます。太陽は24時間で地球を一周するので、1時間で地球全周(360°)の1/24(15°)をまわります。このため、経度15度で1時間の時差が生じることになります。 本初子午線上の時刻を世界時(U.T.)といい、経度差15度おきに1時間ずつ時差をもつ時刻を世界各国の協定にもとづき使用することが決められていて、これを経帯時といいます。 日本では世界時と9時間差のある時刻を日本標準時として採用しました。これは、東経135度子午線上での時刻です。 |
地方時と標準時
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太陽が真南に来る時(太陽南中時)を時刻を決める基点とするようになったのは、ヨーロッパで機械時計が発明された13世紀頃といわれ、時計が進歩し普及するにつれて、都市ごとに太陽の動きを見て時刻が決められるようになりました。 このような時刻を地方(太陽)時といいます。 世界時と日本標準時の説明のとおり、経度が15度へだたると地方時に1時間の時差ができます。 図4は日本国内の地方時の差を表わしたもので、北海道の東端と九州の西端とで約1時間の時差があります。 日本で鉄道の敷設が始まったばかりの明治初期には、東京に始点を持つ鉄道は東京時刻で運行し、京阪神間の列車は大阪時刻で運転されていました。 このように、交通や通信技術の未発達の時代には、地方時を使用して何ら差し支えはありませんでしたが、国内の鉄道がすべてつながって直通列車が運行され、アメリカとヨーロッパのように大陸をへだてて電信が開通すると、世界的に協定された標準時の制定が必要になってきました。 ワシントンで国際子午線会議が開催されたのは、このような時期でした。 |
グリニッジと明石
世界中の経度と時刻の基点となる本初子午線は、1884年の国際子午線会議でグリニッジ天文台を通る子午線と決められました。
しかし、この会議でフランスはパリ天文台の子午線を本初子午線にするよう主張しました。グリニッジ天文台は1676年に、パリ天文台は1677年に建設され、いずれも歴史と伝統をもつ天文台であったからです。
国際子午線会議では、参加国の投票によって、グリニッジを本初子午線と決議したのですが、もしも、この時、グリニッジが本初子午線に選ばれなかったなら、明石は東経135度からずれて「標準時のまち」でも「子午線のまち」でもなかったことになります。
明石にとって、標準時子午線は「天から降ってきたような」存在でしたが、この偶然の出会いを大切に育ててきたのは、明石の先人の卓見というべきでしょう。











