よくある質問&回答集Last Update:2006(H18)/03/30
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時計の針はどうして右回り?
「3時のおやつ」は、どうして「8つ」?
秒の単位の「1秒」はどのように決めているの?
「うるう秒」ってなあに?
「時の記念日」はどうして6月10日?
日本標準時はいつから使っているの?
日本標準時はどこから出されているの?
お昼の12時は本当は何時?
来年以降の春分・秋分の日は?
閏(うるう)年の置きかたは?
うるう年はどうして2月で調整するの?
今年のお月見はいつ?
水・金・地・火・木・土・天・(冥)・(海)?
春分、秋分の日は本当に昼夜平分?
昼間が一番短い日は冬至の日ですか?
冬至の日の太陽の沈む方向は?
子午線ってなに?
時計塔の「JSTM」って何の意味?
本当に天文科学館は子午線の真上に建ってるの?
東経135度子午線の通っているまちは?
星占いに13番目の星座が追加?
時計の針はどうして右回り?
左回り、ではなく、どうして右回りに決まったんですか?
日時計の影の動きを模しています。
日時計は、古代エジプトや古代バビロニアで使用されていたようです。紀元前700年ごろのバビロニアで、天文学者が日時計を作ったという記録や、日時計が使われていたという記録が残っています。
最初は木や石で出来た棒を垂直に地面に立て、その影を観測するという原始的なものでしたが、日の出から日没までを等分に目盛ったものなども現れ、少しずつ工夫され進歩しながら、世界各地へと広がっていきました。
北半球にある地域では、地面に棒を立てて影の動きを追ってゆくと、その影は、右回り、つまり時計回りに動いていきます。
この日時計をもとに、アナログ時計の文字盤の文字配列が作られていったため、その後の時計は、右回りが受け継がれていったと言われています。
しかし、南半球にある地域では、同じ日時計を使って影の動きを観測すると、北半球とは反対の左回りとなるのでは?という疑問をお持ちになる方もいるでしょう。
これについては、時計が発明された当時、地球上にあった文明の多くが北半球に集中していたため、右回りが採用されるようになったと考えられています。
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「3時のおやつ」は、どうして「8つ」?
八ツの頃に食べたからです。
このような時刻制度では、例えば夏至の頃には昼の一刻が2時間40分、夜の一刻が1時間20分と、同じ一刻でも季節や昼夜で違っていました。
時刻の数え方や和時計の表示の仕方も次のように表現していました。
十二支の「えと文字」が、子(ね)−九ツ、丑(うし)−八ツ、寅(とら)−七ツ、卯(う)−六ツ、辰(たつ)−五ツ、巳(み)−四ツ、午(うま)−九ツ、未(ひつじ)−八ツ、申(さる)−七ツ、酉(とり)−六ツ、戌(いぬ)−五ツ、亥(い)−四ツと、それぞれの数字にあてられていました。
日の入りの頃を暮れ六ツ、日の出の頃を明け六ツといいました。
不思議なことに一ツ、二ツ、三ツは用いられませんでした。このような方法がとられた理由についてはよく分かっていません。
有名な落語「時うどん」(関東では「時そば」)でもこの時刻制度は登場します。この落語の中では夜の屋台でうどんを食べた熊さんが支払いの時に一文銭を一ツ、二ツ、と数え、八ツめを数えたときに「今何時(なんどき)だ?」と屋台のおやじにたずね、「へい九ツで」と答えさせた後、「十、十一、十二、これで十二文」と支払いを一文ごまかし、落語を聞きに来たお客の笑いを誘います。この落語の九ツは真夜中の12時頃になります。
既にお気づきのかたもおられるかもしれませんが、おやつは正午の頃(九ツ)の一刻後、つまり八ツのころ(現在のだいたい午後2時〜3時ごろ)に食べることに由来しています。
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秒の単位の「1秒」はどのように決めているの?
1秒の長さは、原子の振動数で決めています。
現在、私たちが使っている時間間隔の単位「秒」は、1967年10月の第13回国際度量衝総会において次のように決められました。「秒」は、セシウム133の原子の基底状態における2つの超微細準位間の遷移に対応する放射の9192631770周期の継続時間と決まっています。
昔は、太陽や星の動きを観測して時刻を合わせていました。いいかえると、地球の自転をもとにして1日の長さを決めていました。
そして、1日を24等分して1時間とし、1時間の1/60を1分、1分の1/60を1秒としていたのです。1秒は1日の86400分の1にあたります。
ところが、近年の観測技術の発達によって、地球の自転が変動していることが明らかになってきました。このことは、地球の自転時間の変化によって、1日の長さも1秒の長さも厳密にはいつも同じではなかったのです。
そこで、現在では、原子の振動を利用した原子時計で1秒の長さを決めています。
「うるう秒」ってなあに?
1秒を挿入したり引き抜いたりする調整作業です。
しかし地球の自転は潮汐力などにより不規則に変化するため、時間の定義としては不都合であることがわかってきました。そこで極めて規則正しい信号を出す原子時計からの信号を用いた時間が定義されました。
原子時計によって決められた時刻を原子時といいます。原子時は、地球の自転とは関係なく正確に時を刻みます。
そこで原子時に基づきながら地球の自転との時刻差が一定範囲に収まるように管理された時刻を使うことになりました。これを協定世界時と呼んでいます。
1972年から使われている協定世界時は、平均太陽時の時刻差が0.9秒以内に収まるように 1秒を挿入したり引き抜いたりします。この調整を「うるう秒」といいます。
うるう秒の実施は、世界各地の天文台の地球回転データと国際原子時との検討から国際地球回転測量事業という機関によって決定され、全世界で一斉におこなわれています。
1秒の調整は12月か6月の末日の最終秒に 1秒を挿入したり引き抜いたりしておこなわれます。それでも調整できないときは3月か9月の末日に、さらに必要であれば任意の月の最終日におこなわれます。
日本の場合、協定世界時と9時間の時差があるため、うるう秒の導入は翌日の午前9時の直前におこなわれます。
例えば1秒の挿入の場合は8時59分59秒、8時59分60秒、9時0分0秒というように、午前9時の直前の1分間が61秒になります。
うるう秒(閏秒)は、1972年1月1日から24回、最近では2006年1月1日に実施されました。
「時の記念日」はどうして6月10日?
なにか、6月10日って特別な日なんでしょうか?
天智天皇が初めて漏刻で時を知らせた日だからです。
1920年5月16日から7月4日の期間に時の展覧会が教育博物館で開かれ盛況でしたが、この開催期間中に東京天文台及び生活改善同盟の幹部らの相談がまとまり、天智天皇の漏刻を使って日本で最初に時報が知らされたことから時の記念日が制定されました。
天文科学館は、昭和35年 6月10日「時の記念日」に開館しました。
日本標準時はいつから使っているの?
日本標準時は、明治時代におこなわれた国際子午線会議の議決にもとづいて決まりました。
国際子午線会議では、イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線を、世界中の経度と時刻の基準とする本初子午線(Prime meridian)として、そこから経度が15度へだたるごとに1時間ずつ時差を持つ時刻を、世界の各国が使用することを決議したのです。これを経帯時といい、世界中に24の経帯時ができることになりました。
この子午線会議の決議にもとづき、明治19(1886)年7月12日に、勅令第51号「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」が発布されまいた。その内容は、
一、英国グリニッチ天文台子午儀ノ中心ヲ経過スル子午線ヲ以テ、経度ノ本初子午線トス。
一、経度ハ本初子午線ヨリ起算シ、東西各百八十度ニ至リ、東経ヲ正トシ西経ヲ負トス。
一、明治二十一年一月一日ヨリ、東経百三十五度ノ子午線ノ時ヲ以テ、本邦一般ノ標準時ト定ム。
というものです。
明治19年といえば、小学校令、中学校令、師範学校令、帝国大学令が公布され、日本の学校制度が確立された年でもありました。しかし全国の交通網はまだ密ではなく、標準時制定の必要性はアメリカやヨーロッパ諸国ほど切実な問題ではなかったのです。
したがって、明治21(1888)年からの標準時実施に先立っては、明治20年7月4日付の官報には、各府県庁所在地の地方時と標準時の時差表を掲載したり、さらに同年12月19日の官報には、標準時はわが国全般に守るべきものであること、また標準時は、西の地方においては従前より早くなり、東の地方では従前より遅くなること、などを重ねて周知させていました。
このようにして、明治21年1月1日午前0時0分に、内務省地理局観象台から全国の電信局に通報され、東京やその他の都市で号砲のあるところでは号砲を発し、日本標準時が使用され始めたのです。この時から、明石の地方時が日本全国の標準時となったのです。
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日本標準時はどこから出されているの?
日本標準時は、標準電波で報時されています。
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お昼の12時は、本当は何時?
「午前12時」または、「午後0時」です。
午前と午後の呼び方については、明治5年11月9日の太政官布告第337号(改暦の布告)に、下記のように記されています。
来年以降の春分・秋分の日は?
どうして毎年変わるのですか?
来年以降の春分・秋分の日
春分・秋分の日は、前年の2月1日の官報で、国立天文台が翌年の暦要項を発表して、正式に決まります。
平成20年の春分の日は、次のように決まっています。
さらに先の春分・秋分の日については、正式には決まっていませんが、計算で求めることができます。
計算から求めた春分の日は、次のとおりです。
| 西 暦(平成) | 春分の日 |
| 2009年(21年) | 3月20日 |
| 2010年(22年) | 3月21日 |
| 2011年(23年) | 3月21日 |
| 2012年(24年) | 3月20日 |
上記と同様に計算から求めた秋分の日は、次のとおりです。
| 西 暦(平成) | 秋分の日 |
| 2009年(21年) | 9月23日 |
| 2010年(22年) | 9月23日 |
| 2011年(23年) | 9月23日 |
| 2012年(24年) | 9月22日 |
下記の図書には春分の日・秋分の日を計算する実験式や西暦2050年までの春分・秋分等の24節気の日時(予定)が記載されています。
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閏(うるう)年の置きかたは?
閏年は次のように決めます。
(1)西暦年数が4で割り切れる年は、閏年とし、その他の年は平年です。
(2)西暦年数が、100で割り切れる年に限って、まず西暦年数を100で割り、その商(答え)が4で割り切れる場合は閏年とし、4で割り切れない場合は、平年とします。
西暦2000年、1600年は、閏年です。
西暦1800年、1900年、2100年は、平年です。
グレゴリオ暦では、400年間に97回の閏年を置くことになっています。これは、季節と暦が合うようにするためです。1太陽年(365.2422日)で季節が繰り返しますので、400年では、
365.2422日×400=365日×400+96.88日
となり、97回の閏年を置けば、季節と暦がほぼ合うことになります。
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うるう年はどうして2月で調整するの?
ローマ暦では2月が1年の最後の月だからです。
| 月名 | ロムルス暦 | ヌマ暦 | 現在の暦 | |
| 1 | マルチウス | 31 | 31 | 3月(31日) |
| 2 | アプリリス | 30 | 29 | 4月(30日) |
| 3 | マイウス | 31 | 31 | 5月(31日) |
| 4 | ユニウス | 30 | 29 | 6月(30日) |
| 5 | キンチリス | 31 | 31 | 7月(31日) |
| 6 | セクスチリス | 30 | 29 | 8月(31日) |
| 7 | セプテンベル | 30 | 29 | 9月(30日) |
| 8 | オクトーベル | 31 | 31 | 10月(31日) |
| 9 | ノーヴェンベル | 30 | 29 | 11月(30日) |
| 10 | デケンベル | 30 | 29 | 12月(31日) |
| 11 | ヤヌアリウス | -- | 29 | 1月(31日) |
| 12 | フェブルアリウス | -- | 28 | 2月(28日) |
| 計 | 304 | 355 | 365 |
その後、B.C.46年に、一年を365日とし、4年に1日の閏日を入れる近代的な暦を制定したユリウス・ケーザル(ジュリアス・シーザー)は、ローマ暦の最後の月のフェブルアリウスに閏日の一日を入れるようにしたのです。
今年(2008年)のお月見はいつが良い?
今年(2008年)の中秋の名月は、9月14日です。
| 西 暦(平成) | 月日 |
| 2008年(20年) | 9月14日 |
| 2009年(21年) | 10月3日 |
| 2010年(22年) | 9月22日 |
| 2011年(23年) | 9月12日 |
| 2012年(24年) | 9月30日 |
| 2013年(25年) | 9月19日 |
| 2014年(26年) | 9月8日 |
水・金・地・火・木・土・天・(海)・(冥)?
水・金・地・火・木・土・天・海・冥
また海王星の軌道は、太陽に接近したときは29.840天文単位、遠ざかったときは30.380天文単位となり、いずれも冥王星の太陽接近時の距離よりも遠い位置になります。
これは冥王星の軌道が、海王星の軌道の内側へ入っていることになります。その時期は、1979年1月から1999年3月までです。この期間は、太陽から近い順に「水金地火木土天(冥)(海)」といわれるのです。
冥王星は、太陽の周りを約248年かかって回っていて、その間の約20年間だけ海王星よりも太陽に近い位置にいます。
ですから、1979年から1999年までは「水金地火木土天冥海」も正しいかったのです。
春分、秋分の日は本当に昼夜平分?
春分の日、秋分の日は、ほぼ昼夜平分です。
1、日の出とは、太陽の縁の一部が地平線上に出た瞬間を言います。また、日の入りとは、太陽が地平線に全部入った瞬間を言います。これによって太陽の直径分だけ動く時間、昼間が長くなります。
2、地平線近くなった太陽は、空気の屈折によって浮き上がって見えます。浮き上がりの量は、地平線付近で34′ほどになり、その角度だけ日の出入に太陽が動く時間、昼間が長くなります。
明石付近で昼夜平分になる日を調べてみますと、2008年は春分の日の4日前の3月16日、秋分の日の3日後の9月26日になります。
昼間が一番短い日は冬至の日ですか?
昼間が一番短い日は冬至の日ですが、日の入りが一番早いのは12月上旬です。
| 日 付 | 日の出 | 日の入り | 昼間の長さ |
| 12月11日 | 6時56分 | 16時49分 | 9時間53分 |
| 14日 | 6時58分 | 16時50分 | 9時間52分 |
| 17日 | 7時00分 | 16時51分 | 9時間51分 |
| 21日 | 7時 2分 | 16時52分 | 9時間50分(冬至) |
| 27日 | 7時 5分 | 16時56分 | 9時間51分 |
| 30日 | 7時 6分 | 16時58分 | 9時間52分 |
| 31日 | 7時 6分 | 16時59分 | 9時間53分 |
日の入りの最も早い日は、12月上旬です。神戸では16時48分です。
一方、日の出の遅い日は、1月上旬です。神戸では、7時7分です。
このように、日の入りの最も早い日が冬至の日にならないのは、次の理由によります。
もし、私たちが見ている太陽(視太陽時)が、いつも正午(平均太陽時)に真南に来れば、このような問題はおこりません。
ところが、太陽は、地球から見ていると天球上を1年かかって1周します。
ですから、1日に地球が自転している間に、太陽は東の方へ平均1度ほど動いています。
この動きがいつも一定であればよいのですが、次の理由によって太陽が東の方へ移動する量は、季節によって変化します。
@太陽の動く道(黄道)と天の赤道が23.4度傾いていること。
A地球が太陽のまわりを楕円軌道でまわっていること。
太陽が東へ移動する量が平均よりも大きいときは、日の出も日の入りも遅れますが、その量が平均よりも小さいときは、日の出も日の入りも早まります。
冬至の頃は、この移動する量が大きいために日の出、日の入りが遅くなります。それと昼間の長さが変化するのと合わさって、日の入りの最も早い日が冬至の前にずれ込み、日の出の最も遅い日が冬至の後になります。
冬至の日の太陽の沈む方向は?
その土地の緯度によって違います。
冬至の日の太陽は、赤経18時0分、赤緯−23.4°にあります。
12月22日(冬至の日)の太陽の沈む方角は、神戸・明石(約35°)では、真西から約29°南よりです。
なお、この日に赤道で見ると、真西から約23.4°南よりに沈みます。
また、南緯66.6度より南の土地では、太陽は沈みません。
子午線ってなに?
子午線とは
一般に、明石を「子午線のまち」といいますが、その意味は「日本標準時の基準となる東経135度子午線上のまち」という意味です。
時計塔の「JSTM」って何の意味?
「日本標準時子午線」の頭文字です。
その子午線(南北線)は、当館の時計塔の中心を通過しており、日本の正午にはこの時計塔の真南に太陽(平均太陽)が見えます。
本当に天文科学館は子午線上に建ってるの?
天文科学館の建設位置
他の一つは、地球の形に近い楕円体を考えて地図を作るための基準面にした測地経緯度(地理学的経緯度)です。
この測地経緯度の基準点が、法律改正(測量法)にともなって2002年4月1日から変わりました。
日本では、明治時代に旧東京天文台の経度と緯度を天体観測によって求め、そこを経緯度原点とし、 そこから地球が完全な回転楕円体(ベッセル楕円体(長半径:6,377,397.155m 、扁平率:1/299.152813)を採用していました)と仮定して、地上測量(三角測量)を行って決めた日本測地経緯度を使っていました。
しかし、近年のようにGPS(全地球測位システム)及びGIS(地理情報システム)というコンピュ−タシステムによる位置情報の測定・利用技術が発達してきますと、両技術に対応する世界共通の基準として「世界測地系」が必要になってきました。
測量法では、世界測地系を次のように定義しています。
「世界測地系」とは、地球を次に掲げる要件を満たす扁(へん)平な回転楕円体であると想定して行う地理学的経緯度の測定に関する測量の基準をいう。
1.その長半径及び扁(へん)平率が、地理学的経緯度の測定に関する国際的な決定に基づき政令で定める値であるものであること。(長半径:6,378,137m 、扁平率:1/298.257222101)
2.その中心が、地球の重心と一致するものであること。
3.その短軸が、地球の自転軸と一致するものであること。
ところが、地球の形は地下の物質の密度分布が一様でないために、水面を連ねた曲面が凸凹して完全な回転楕円体ではありません。
そのために、天文経緯度と測地経緯度は一致しないのです。
天文科学館の子午線塔の位置は精密な天体観測によって決められた、天文経度の東経135度日本標準時子午線上に建てられています。
日本測地経度(地図)の東経135度子午線は、当館の西約370m付近を通っています。
世界測地経度の東経135度子午線は、当館の西約120m付近を通ります。
東経135度子午線の通っているまちは?
東経135度子午線の通るまちは
北から京丹後市、福知山市(以上京都府)、豊岡市、丹波市、西脇市、加東市、小野市、三木市、神戸市西区、明石市、淡路市(以上兵庫県)、和歌山市(和歌山県)です。
それぞれの町には、目には見えない子午線を表示する標識やモニュメントが建っています。
明石市は、明治43年に日本で最初に標識を建てたことから「子午線のまち」といわれています。
星占いに13番目の星座が追加?
黄道13星座
ところで、春分点の位置は、地球の歳差運動のために毎年黄道上を50.3秒角ずつ西へ移動していて、約72年で角度1度、約2150年で角度30度移動します。
そのために紀元前2世紀頃におひつじ座にあった春分点が現在で
はうお座に移っています。
そして12の全ての宮が、星座と合わなくなっています。
そこで、星座と合わせた占星術も考えられています。この場合の星座の大きさはまちまちですから、それぞれの宮の間隔も30度毎ではありません。
さらに、19世紀までは星座の境界がはっきりしていなかったものが、1928年の国際天文同盟(現在の国際天文学連合)の総会で決まりました。(理科年表による)
そして、へびつかい座を黄道が通っていることがはっきりわかるようになりました。
最近になって、若い人たちの間で星占いの人気が高まってきた機会をとらえて、へびつかい座を加えた13星座の占星術を考える人が出てきたのです。
ところで、星座は、星の並びを覚えやすくするために人間がとつくったものです。
星座の境界も、天文学者が決めたものです。そのような星座が、人間生活を左右するよという考えはあやまりです。
気にしないようにしてください。

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