天文科学館について

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天文科学館のあゆみ

明石市立天文科学館は1960(昭和35)年6月10日に開館しましたが、そこにいたるまでには50年以上にわたる子午線標識の建設と日本標準時制定の歴史がありました。

日本標準時が制定されたのは、1886(明治19)年のことで、それは、その2年前の1884(明治17)年にアメリカのワシントンで開催された国際子午線会議(本初子午線並計時法万国公会)の決定にもとづいたものです。この会議の決定にもとづき、1886(明治19)年7月12日に、勅令第51号「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」が発布されました。
その内容は、
一、英国グリニッチ天文台子午儀ノ中心ヲ経過スル子午線ヲ以テ経度ノ本初子午線トス。
一、経度ハ本初子午線ヨリ起算シ東西各百八十度ニ至リ東経ヲ正トシ西経ヲ負トス。
一、明治二十一年一月一日ヨリ東経百三十五度ノ子午線ノ時を以テ本邦一般の標準時ト定ム。
というものです。

そして、明治21年1月1日午前0時0分に、内閣省地理局観象台から全国の電信局に通報され、日本標準時が使用されはじめました。

明治43年に石の標識

東経135度子午線が明石を通ることを知り、その通過地点に標識を建てることを最初に考えたのは、明石郡小学校長会の人々でした。最初の子午線標識は、1910(明治43)年、教育勅語発令20周年記念事業として計画され、参謀本部の測量地図にもとづいて、相生町の国道筋(現在の明石市天文町2丁目)と、平野村黒田(現在の神戸市西区平野町黒田)の県道脇の2か所に建てられました。

相生町のものは高さ2.72m、平野村のものは高さ2.42m、ともに花コウ岩製で、どちらも現存しています。
ところが1915(大正4)年に、日本の地図原点である東京麻布の東京天文台の経度に10.4秒の修正がおこなわれました。それにともなって、地図によって決めていた明石の2つの標識は、東経135度から10.4秒ずれることになりました。
しかし、しばらくの間、そのままにされていました。

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昭和3年の天体観測とトンボの標識

1928(昭和3)年になって、明石中学校(現在の明石高等学校)の山内佐太郎校長の熱心な提唱により、明石市教育委員会は御大典記念事業として、子午線標識を正確な位置を建てかえることを計画しました。
そして京都大学地球物理学教室の野満隆治博士に、子午線通過地の決定を依頼しました。このとき博士は「時刻の基準となる日本標準時子午線の標識は、天体観測にもとづく天文経度によって建てるべき」と考え、その年の夏に1か月かかって明石中学校の校庭で、天体観測を実施しました。

その結果、天文経度の135度子午線は、明石の名勝人丸山の月照寺境内を通ることがわかりました。そこで相生町の石の標識は、天文経度の東経135度より4.046秒、距離にして103m西によっていることがわかり、103m東の相生町巡査駐在所前に移動させました。(平成11年5月に道路拡幅工事で北へ7m移動)
そして1930(昭和5)年に月照寺の正面に新しい標識が建てられました。
この標識は、神戸高等工業学校の古宇田実校長の設計で、当時としては斬新なデザインでした。上部に日本(あきつ島)の象徴であるトンボ(あきつ)が取り付けられていたので、「トンボの標識」として広く親しまれていました。
また、1933(昭和8)年に、神明道路(現在の国道2号)の完成にともなって、弓町(現在の天文町1丁目)の国道北側の歩道上に、コンクリート製の新標識(現在は、天文科学館の案内標識)が建てられました。

昭和26年の再観測から天文科学館へ

第二次世界大戦中の米軍の空襲で、トンボの標識も被害を受けましたが、終戦後の1949(昭和24)年頃から子午線標識の復旧のことが市民の話題になってきました。
そこで明石教育委員会は、子午線通過位置の再観測と標識の復旧を計画し、京都大学宇宙物理学教室の上田穣博士に観測を依頼しました。

1951(昭和26)年5月、上田博士の指導のもと、同教室の今川文彦氏、満尾寿男氏が月照寺境内で観測を実施しました。その結果、天文経度の東経135度子午線は、トンボの標識の11.1m東であることがわかり、1956(昭和31)年に標識は現在の位置に移動しました。

この頃から人丸山に国立天文博物館の誘致計画がたてられましたが、文部省の予算面で難航しました。その後人類初の人工衛星の打ち上げが行われるなど、人々の宇宙に対する関心が高まる中、1957~58(昭和32~33)年の「国際地球観測年」を契機に明石市民の意識の中に、明石市独自の天文科学館構想がたてられました。
そして1960(昭和35)年に完工、その年の6月10日「時の記念日」に天文科学館が開館しました。

こうして、東経135度日本標準時子午線の標識を兼ねた地上54mの展望塔と、当時としてはめずらしいドイツ民主共和国(東ドイツ)の大型プラネタリウムを持つ「時」と「宇宙」を展示する科学館が生まれました。
塔頂の南面にある直径6.2mの大時計はいつも正確な時を示し、「時のまち明石」のシンボルとして市民に親しまれてきました。

そして、学校教育の天文学習の場として、また、天文に興味を持つ人に最新の情報を提供する社会教育の場として、多くの人々に利用されてきました。

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兵庫県南部地震から40周年リニューアルオープンまで

ところが1995(平成7)年1月17日、午前5時46分に発生した兵庫県南部地震(阪神淡路大地震)によって甚大な被害を受け、休館せざるをえなくなりました。
震災の被害で観測室の天体望遠鏡は転倒し、外塔はひびわれ、塔時計は「地震発生時刻」をさしたまま止まってしまいました。

その後、震災復旧工事のため3年2か月間の休館を経て、1998(平成10)年3月15日に、リニューアルオープンしました。

再開後、唯一震災の被害をまぬがれたプラネタリウムは、オープン後も、そのまま使われており、従来と同様に生解説で投影をしています。

また、転倒した望遠鏡にかわって新たに40cm反射望遠鏡が設置され、館内は展示内容を一新して、スタートしました。

50周年を記念し、展示室を全面リニューアル

さらに、より多くの皆様に喜んでいただけるよう「展示室」を全面的にリニューアルし、2010(平成22)年5月29日に新たなスタートを切りました。そして、2010(平成22)年6月10日「時の記念日」に、当館は開館50周年を迎えました。
これからも、多くの方々に東経135度子午線に位置する明石市立天文科学館で、「時」と「宇宙」の素晴らしさを感じていただければ幸いです。

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明石市立天文科学館 〒673-0877 兵庫県明石市人丸町2-6 電話/078-919-5000
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